長吏と非人/封建社会の長吏と非人

封建社会の長吏と非人

長吏とは穢多身分のものを指すが、これは江戸浅草の弾左衛門支配地域での呼称で これら身分の人たちが長吏と 呼ばれることを主張した経緯があります。死んだ牛は百姓の手を離れて長吏のものになりました。 これは、当時 の長吏・半右衛門が「弾左衛門が支配している関東その外の場所では死んだ牛馬が出たときには長吏の権利であ る」と明瞭にいっています。これを斃牛馬取得権といいます。

この斃牛馬取得権というのは、戦国時代に戦国大名らが鎧や鞍などの武器としての 皮革調達のために、長吏に 皮の上納を命じたことに始まるといわれています。もっとも、それ以前から長吏といわれた人たちが、死んだ牛馬 の皮を取得していたからでは ありますが、それを戦国大名が組織的に長吏を「役目」として利用したのです。そ の替わり、長吏は大名から大事に保護されます。小田原の北条氏の発行した史料などを見ますと、「徳政」をしたとあります。 その内容については明らかではありませんが、納入する皮の値段を高く買ってやるとか、年貢を負けてやるとか、 とにかく皮の確保のための優遇処置をしたとあります。

足利の長吏・半右衛門と館林の長吏半左衛門は、戦国時代の旧主であった長尾但馬 守顕長から大事にされた旧恩 を忘れず、江戸時代の後期になっても、当時古河藩主土井大炊頭の家来になっていた顕長の子孫の長尾氏のところに、 毎年正月の挨拶のためはるばる連れ立って出向いたことが足利半右衛門家の史料にあります。

この原皮確保のために、百姓らは牛や馬が死ねばその所有権は消滅し、これを捨場に出すことが義務づけられま した。そして、この斃牛馬を無償で取得する独占的な権利を長吏に保証したことにあります。

このように戦国時代からの役目から生じた一種の特権が、その後も引き続き江戸時代の全期を通じて幕府によって 公認されていたのであります。そして、この斃牛馬取得権は、この慣習法によって受け継がれた長吏の権利ですが、後 には一種の「株」の ようなものと考えられ、長吏の間で質に入れたりすることができました。ところで、従来の部落史 研究書では長吏が皮を取得することを斃牛馬処理権(へいぎゅうばしょりけん)と呼んでいます。

しかし、この「処理」という言葉から受ける 印象は、いかにも長吏が斃牛馬を解体したかのように思われがちです 。関東では百姓が斃牛馬を捨場に捨て、非人がこれを解体し、長吏がこれを取得するというのが実態なのです。 群馬部 落研の池田氏などはこの点に着目し早くからこの斃牛馬処理権を斃牛馬取得権(へいぎゅうばしゅとくけん)に改めるべきであると主張しています。 この点でも関西と関東では違いがあります。

参考文献掲載リンク先
新井直樹、九三年群馬部落研東毛地区近世史学習会・池田氏より教示

Shimizu process

copyright © asatori.all rights reserved.